グローバル科学トピック:005
January, 2009
不思議なフシギな万能細胞
米・サイエンス誌が「今年の画期的な研究成果」の第1位に選んだ、山中伸弥教授の「細胞の初期化」とは?
京都大学・山中伸弥教授
photo:京都大学HP世界中の科学者、研究者の皆さんが購読している、「サイエンス」というアメリカの有名な科学誌があります。サイエンス誌は『今年の画期的な研究成果(Breakthrough of the Year)』と題して、毎年12月にその年の偉大な科学的業績ベスト10を発表しています。昨年末も、12月19日に2008年度の結果が発表されましたが、その第1位に選ばれたのは「細胞の初期化」というトピックでした。
これは京都大学の山中伸弥教授(現・物質・細胞統合システム拠点iPS細胞研究センター長)らが精力的に取り組んできた「万能細胞」の研究、特に一昨年の11月、世界中をアッと驚かせた「人の皮膚細胞から万能細胞を作ることに成功!」の発表を機に、世界中で活発になった「人工多能性幹細胞(iPS細胞)」に関するめざましい進展を意味しています。
万能細胞という言葉は、ここ数年、何度もニュースで採り上げられていますから、きっと皆さんも耳にしたことがあるのではないでしょうか。でも、その意味を知っていますか?今月のグローバル科学トピックは、今、世界で一番ホット!な、この万能細胞の不思議を(いつものようにキャラバン流「超訳」で)解説します。
不思議なフシギな万能細胞
人間をはじめ、ほとんどすべての動物の生命は、お父さんの精子とお母さんの卵子が結合し、1つの細胞(受精卵)ができるところから始まります。最初はたった1個だった細胞は、やがて2つになり、4つに分かれ8つに増え...と、どんどん自らを分割・複製(=細胞分裂[さいぼうぶんれつ])して増えていきます。増えた細胞は、やがてある部分が頭になり別の部分は足になり...と「分化」して、それぞれ身体を構成する組織として個別に成長を始めます。
ここでちょっと不思議なことは、誕生したばかりの生命は、もともと精子と卵子が結びついてできた1つの細胞が分裂しただけの、いわばコピーの集合体です。この細胞たちは、どこからの指示で、ある部分は頭に別の部分は足にと分かれていくのでしょう?実はこの問いに対する答えは、まだ解明されていません(...なので皆さんがいっぱい勉強して、将来答えを導いてください!)。
細胞分裂とES細胞
なにはともあれ。受精卵が細胞分裂を繰り返し「胚盤胞(はいばんほう)」という状態になった時、その内側は「内細胞塊(ないさいぼうかい)」という、これから様々な身体の組織に分化していく細胞でいっぱいになります。この内細胞塊を取り出して培養したものが「胚性幹(はいせいかん)細胞」、あるいは一般的に「ES細胞」と呼ばれるものです。
ES細胞はまだ分化する前の細胞ですので、頭にでも足にでも、胃にでも肝臓にでも、身体を構成するどんな組織にでもなることができます。この「なんにでもなることができる」能力のことを「分化万能性」といいますが、ES細胞には分化万能性があり、また容易に増殖させることができます(実際、ES細胞は別名「万能細胞」と呼ばれています)。
さあ、ちょっと難しい話が続いてしましましたが、以上をもっと簡単に言い換えてみましょう。
ES細胞を思いのままに分化・形成することができれば、心臓でも手の指でも、大腸でも耳でも、身体の器官をいくらでも作ることができます。ということはつまり、たとえば事故で失われてしまった身体の器官や、病気で機能しなくなってしまった臓器を、簡単に移植して取り替えることができるようになります!
また、臓器の移植手術は現在すでに世界中で行われていますが、ES細胞を使って本人の細胞から作った臓器なら、移植手術につきものの「拒絶反応(身体が他人の器官を受け入れてくれず、移植した臓器が死んでしまうこと)」も起こりません!
そんな、いいことずくめのES細胞(万能細胞)ですが、野菜や果物などの植物ではない高等動物に関しては、この分化万能性を持つ細胞が「受精卵以外からは手に入らない」ことから、2つの大きな問題が立ちはだかり、今まで研究が進みませんでした。つまり、研究しようとすれば受精卵から胚性幹細胞を取り出さなければなりませんが、1)受精卵からの胚の採取には危険が伴う(危険性)、2)生命そのものと言える受精卵から胚を取り出すことは命を殺すことになる(倫理性)という2点です。
iPS細胞(人工多能性幹細胞)の誕生
学生時代にラグビーや柔道と親しんだ山中伸弥教授は、医学部を卒業したあと、自身、スポーツによる手足の故障が絶えなかったことから整形外科の医師となりましたが、痛みを取る「対症療法」が中心で、疾病の根治(病のそもそもの原因を取り除くこと)ができない外科医学の限界に悩んでいました。
ところが1998年、ある医学論文を読んだ山中教授にひらめきが訪れます。その論文によれば、マウスの体細胞(皮膚などの普通の細胞)とES細胞を混ぜた溶液に電圧をかけると、この2つの細胞が融合して普通の細胞がES細胞化した(=皮膚の細胞だったものが万能細胞になった)というのです。ES細胞と一つになることで、普通の細胞の中にある「私は皮膚の細胞です」というメインプログラムが消去されるようなのです(これを「細胞の初期化」といいます)。これはつまり、ES細胞の中には『普通の細胞からメインプログラムを消すなにか』が潜んでいるということを意味しています。
ES細胞と融合すると、普通の細胞が初期化される
山中教授は、まず世界規模で行われた「ゲノムプロジェクト(遺伝子の性質と役割を明らかにするグローバルな医学研究)」によって蓄積されたデータベースから、ES細胞に含まれている遺伝子を100個選び出しました(コンピュータを使い、ほんの3時間ほどの作業だったそうです)。次にその100個から細胞の初期化に関係すると思われる遺伝子を24個に絞り込みましたが、これには4年間という長い時間がかかりました。そこからは力わざです。24個から1つを取り除いた23個の遺伝子を普通の細胞と融合させ、ES細胞化するかどうか?を実験・観察することにより、最終的にキーとなる4つの遺伝子を特定したのです。
この、普通の細胞(体細胞)を「なんにでもなれる」ように変化させた細胞は、受精卵から取り出したES細胞そのものではなく厳密には「万能ではない」ため、新たに「人工多能性幹細胞(iPS細胞)」と名付けられました。その後、まずマウスを使った実験で体細胞をiPS細胞化することに成功し、2006年8月25日に論文を発表。さらに一年間の研究を経た2007年11月21日には、人(成人)の皮膚細胞に4種類の遺伝子を導入することでiPS細胞を作り出せることを発表し、世界中をアッと言わせたのでした。
後日談:もう1つの不思議なフシギなできごと
1998年、マウスを使い世界で初めて万能細胞を人工的に作ることに成功した、米・ウィスコンシン大学のジェームズ・トムソン教授は、その後も独自のアプローチで、人のiPS細胞の研究を続けていました。そして山中教授が使った「大人の皮膚細胞」とは違う「胎児の皮膚細胞」に、これまた山中教授とは違う4種類の遺伝子を導入することで、同じくiPS細胞を作り出すことに成功しました。
その論文発表の日付けは、2007年11月21日。驚いたことに山中教授とトムソン教授は、同じ年の同じ日に、それぞれ独自のアプローチによる「iPS細胞づくり」の論文を発表したのでした。